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伝統薬あれこれ

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反魂丹

反魂丹 室町時代、中国から日本に伝播した、今も尚愛用され続けている富山の伝統薬。
堺の商人・万代掃部助(もず かもんのすけ)が唐人から処方の伝授を受け、万代家(後に読みを「もず」から「まんだい」に変更)で代々伝えられ、万代家は3代目の時に岡山藩に移り住み、医業を生業とし、8代目の頃には岡山藩藩主池田忠雄のお抱え医となっていたが、富山藩藩主前田正甫が腹痛を起こした際、11代目万代常閑(まんだい じょうかん)が作った「反魂丹」が効いたことから、1683年(天和3年)に万代常閑を呼び寄せ、処方の伝授を受けた。

それ以降、正甫は「反魂丹」を印籠にいれて常時携帯していた。 1690年(元禄3年)、江戸城内において、三春藩藩主秋田輝季が激しい腹痛を訴えたため、その場に居合わせた正甫が携帯していた「反魂丹」を服用させたところ、すぐに腹痛は治まった。

これを見ていた諸大名がこの薬効に驚き、自分の藩内での販売を頼み、前田正甫は薬種商の松井屋源右衛門に反魂丹を製造させ諸国に行商させた。
この行商が富山の売薬、配置販売業のもととなっている。

〔効能・効果〕
胃痛、腹痛、さしこみ(疝痛、癪)、胃酸過多、胸やけ等
〔原料〕
オウレン、センブリ等の生薬を各種配合

陀羅尼助丸

陀羅尼助丸 陀羅尼助の由来は、強い苦みがあるため、僧侶が陀羅尼を唱えるときにこれを口に含み眠気を防いだことからと伝えられる。
陀羅尼助は和薬の元祖ともいわれ、伝承によれば、1300年前(7世紀末)に疫病が大流行した際に、役行者(役の小角)がこの薬を作り、多くの人を助けたとされる。

古くは吉野山(吉野町)および洞川(どろがわ、天川村)に製造所があり、吉野山や大峯山への登山客、行者参りの人々の土産物となっていた。

〔効能・効果〕
食欲不振(食欲減退)、胃部・腹部膨満感、消化不良、胃弱、食べ過ぎ(過食)、飲み過ぎ(過飲)、胸やけ、もたれ(胃もたれ)、胸つかえ、はきけ(むかつき、胃のむかつき、二日酔い・悪酔のむかつき、嘔気、悪心)、嘔吐、整腸(便通を整える)、軟便、便秘
〔原料〕
オウバク、ガジュツ、ゲンノショウコ等の生薬

百草丸

百草丸 木曽御岳山(おんたけさん)に古くから伝わる、キハダ樹皮から抽出されたオウバクエキスのみを配合した黒色板状の苦味健胃薬(胃腸薬)「百草」をより飲みやすくするために丸状にしたもの。
百草(板)はオウバクエキスのみで出来ているが、百草丸は製造元で異なってはいるものの、ほかの生薬が処方・配合されているが、主成分をミカン科の落葉高木「キハダ」の内皮から抽出されるオウバクエキスとしている。

〔効能・効果〕
食べ過ぎ、飲み過ぎ、胸やけ、胃弱、食欲不振(食欲減退)、消化不良、胃部・腹部膨満感、もたれ、胸つかえ、はきけ(むかつき、胃のむかつき、二日酔・悪酔のむかつき、嘔気、悪心)、嘔吐
〔原料〕
オウバク、ゲンノショウコ、センブリ等の生薬各種

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